『アントニオ・ガデス舞踊団 in シネマ』

  • 『アントニオ・ガデス舞踊団』

アントニオ・ガデス舞踊団について
アントニオ・ガデス舞踊団は、フラメンコ史を塗り替えた偉大な舞踊家アントニオ・ガデスの遺志を受け継ぎ、その芸術と作品を伝えるために、ガデスが設立した財団によって2004年に再結成された。
ガデスの愛弟子のステラ・アラウソ芸術監督のもと、最高峰のスペイン舞踊団として世界中で公演活動を続けており、2016年には7年ぶりの来日公演を行い、満場の観客から熱狂的な喝采を浴びたことは記憶に新しい。

アントニオ・ガデスについて
アントニオ・ガデス(1936-2004)は1936年11月、スペインのカタルーニャ地方アリカンテに生まれました。スペイン市民戦争が始まった年で、父は共和国派の志願兵としてマドリードに赴き重傷を負います。内戦が終わって家族はマドリードに移り住み、アントニオは家計を支えるために11歳で学校を辞めて働き始め、写真家の助手、ボクサー、闘牛士など様々な仕事を経験しました。15歳の頃にショークラブで踊っていたところを名舞踊家のピラール・ロペスに見いだされ彼女の舞踊団に入団、スペイン舞踊とクラシック・バレエを学びました。1961年に同舞踊団を退団後、ローマ歌劇場に振付師として招かれ、さらにミラノ・スカラ座でもダンサー、振付師として活躍します。やがてクラシック・バレエの枠に留まらない自らの表現を求めた彼は、スペイン舞踊に回帰して自身のグループを結成し、1974年にはアントニオ・ガデス舞踊団としてローマで「血の婚礼」を初演し絶賛を博します。その後政治的理由から引退を宣言しますが、キューバ国立バレエの伝説的なプリマ、アリシア・アロンソの助言もあり、1978年に活動を再開。同年に創設されたスペイン国立バレエの初代芸術監督となります。
1981年に映画監督カルロス・サウラと共に「血の婚礼」を映画化。同じコンビで1983年に「カルメン」、1986年には「恋は魔術師」と映画を発表し、いずれも舞台化を果たします。
2004年に自身の作品の作品を後世に残し、スペイン舞踊の普及と育成を図るため、アントニオ・ガデス財団を設立。同年7月、マドリードで逝去しました。

『アントニオ・ガデス舞踊団』


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